JApan Network Operators' Group

発表者インタビュー: 20周年基調講演1 インターネットがくれたもの

こんにちは、ORGチェアの鈴木です。

今回のニュースレターでは、7/26(水) JANOG20周年基調講演の演者である河合敬一さんをご紹介します。河合さんは、現在Nianticにて、多数のビジネスパートナーとともに、ロケーションを活用した新しいビジネスの創出に取り組んでいらっしゃいます。みなさんスマートフォンでPokémon GOのアプリを利用して、いろんな場所へ出かけて、たくさんポケモンを集めたりされた方などいらっしゃるのではないでしょうか。そうです、そのPokémon GOの開発責任者でもあります。

また、日頃よく利用するGoogle Mapsについても河合さんは深く関係していらっしゃいました。これまで、Google Mapsの開発や、Pokémon GOと言ったロケーションを利用するサービスを多数手がけ、2011年の東日本大震災後には、被災地の現地情報をGoogle Maps/Google Street Viewに反映するよう企画し、被災者ならび支援者の方へ現地情報を提供するためにご尽力されました。現在も開発本部長として、第一線にてご活躍されております。今、我々は様々なツールを"インターネット"を通して利用しています。そのツールの開発に携わっている河合さんに、インターネットおよびそれがもたらすものや目指すところについて、お話を伺いました。


インターネットとの出会いから今に至るまで

人々が技術でつながるとすごいことが起きる、と初めて体感したのは、小学生の頃です。同級生に地元の天文台の台長さんの子供がいて、そのつてで、たびたび天文台へ遊びに行っていたんです。そこの天文台では、観測したデータをもとに月のクレータの高さを計測するという研究をしていたんですね。月のすれすれのところを星が通ると、山のあるところでは星が隠れる。緯度の違うところで計測した結果を共有すると、山の形が描けるんです。音響カプラーでコンピューターを繋いで、データをネットワーク経由で送ると、世界中の観測データが集まって、それを元にクレーターの計算が行われ、それが戻ってくる。インターネットよりもまだ前の話ですが、こうした一つの目標に向かって、ネットワークを使って人々が協力すると、素晴らしいことが成し遂げられるんだと、その時思ったんです。

その後、中学生になってからはパソコン通信を始め、日本中の人と交流を持ち、大学に入学してすぐに、インターネットで世界に繋がる面白さを体感しました。そこで、大学でインターネットに関することをしたいと改めて考えて、慶応大学のSFCに入学したんです。

SFCに入って、1年生で村井先生の研究室に入れてもらい、インターネットで世界はどう変わるのか、教育はどう変わっていくのか、そういうことを研究していました。具体的には、インターネットで大学の授業を中継してみたり、いまでいうMOOCとか遠隔教育のはしりみたいなアプリケーションをチームで開発したり、そんなことをしながら、インターネットで情報交換のコストが圧倒的に下がるときに、どんなことが可能になるのか、そんなことをずっと考えていました。ネットワーク技術の研究室では珍しいアプリケーション屋でしたし、技術的にはあまり腕のいい学生じゃなかったから先輩にはもう心配かけ通しでしたが、なんとかみんなが助けてくれました。インターネットがまさに社会へ広がっていく時代を、特等席で当初から体験できたことが、いまの自分を形作る上で、背骨のようなものになっています。インターネットを使うと、多くのものを多くの人に伝えることがとても簡単になる。人と人がより簡単につながれるようになる。そして、みんなが少しずつ持ち寄ったものが集まると、それが個の足し算ではなくて、掛け算になって、新しい価値が生まれてくる。そんな、小学生の頃の経験が、とてつもなく大きな規模で起きていた。そういうことを体験してきたんだと思います。

社会人になって、優秀な人がまわりにたくさんいて、やっぱり自分はエンジニアとしてはいまいちだなあ、ということがすぐわかりました。それだったら、インターネット上のサービスを、多くの人に使ってもらえるように、エンジニアと利用者の思いをつなげるような仕事をしよう、そう考えて、プロダクトマネージャーという仕事を選びました。いろいろなサービスの開発に関わりながら、ユーザーとエンジニアリングをつなぐ役割を担っています。

理想のプロダクトマネージャー像とは。また、日々のマネジメントで心がけていること

新しい技術がなければイノベーションは生まれないし、未来は作れないのはもちろんなのですが、技術が先行しすぎてうまくいかないこともよくあります。技術中心の開発文化の中にいると、このテクノロジーでどんなことができるのか、ということから考えることが多いですよね。また、「これは難しい問題だから、なんとかして解きたい」「この問題は面白いからぜひ取り組みたいんだ」、といった興味って、新しい技術を生み出していく上ではとても大切なことですよね。ただ一方で、あまりそこだけを見つめすぎると、"Solutions looking for a problem” になっちゃうよ、ってよく言うのですが、これって本当にユーザーの問題を解決できるんだっけ、とか、みんなの役に立つんだっけ、という、とても大切なことがおろそかになってしまうこともあるんです。そのために、シリコンバレーをはじめとした海外のプロダクトカンパニーでは、プロダクトマネージャーという職種を設けて、開発チームに、ユーザーの視点でものづくりをすることを仕事としてやる人をおいて、バランスを取っています。日本ではまだ珍しいですが、プロダクトマネージャーを置く会社も少しずつ増えているそうです。

使ってくれる人が、何に困っているか、どうやったらもっと楽しく、便利に使ってもらえるか、ということから考える、使う人を中心にして考えるのも、技術を深めていくの同じくらい大事なことなんです。ユーザの目線で問題を見つけ、それを技術の力でどうやって解決するか、エンジニアとともに考えていくこと。技術とユーザーの両方を上手につなぐ人、それが理想のプロダクトマネージャー像なんだろうと思います。上からの信頼を得つつ、うまくエンジニアや周りのチームとコミュニケーションを取りながら、できるだけ現場でものを作っている人に寄り添い、最後にプロダクトとしてまるっとおさめる、そのようなマネージメントが理想だと思っています。

どんなプロダクトでも、やっぱり最後はユーザに使ってもらえなければ、いいプロダクトとはいえません。でも、ユーザーに聞いても、どんなものが欲しいのかって、具体的なことを言ってくれることは少ないんです。「ああ、これが欲しかったんだよね」って、出したあとで言ってくれるような、隠れたニーズを見つけて、それを技術の力で解決していければ、それが一番です。

でも新しいものを作り出すというのは本当に大変ですよね。新しいプロダクト、サービスを作っていくのって、すごいことだと考えてますし、やっぱりコードを書いてものを作っているエンジニアが一番たいへんなんです。だから、プロダクトマネージャーや、開発の周囲で仕事をする人は、エンジニアの作業がどうやったらトップスピードで走っていけるのか、その環境をちゃんと作っていかなくてはいけないと思っています。そのためにも、エンジニアに信頼してもらって、開発の筋道をつけて、雑音をなるべく遮断し、障害物をどけていく。そしてできるだけ(邪魔しないように)コミュニケーションしていく。そんなことがが大切だと思っています。うまくいくこともうまくいかないこともたくさんあるし、いまでもまだ、試行錯誤の毎日です。

Pokémon GOのヒットの陰での予想外な出来事

わたしたちも、まさかこんなにたくさんの方にお使いいただくようになるとは思ってしませんでした。本当に、ありがたいことです。またPokémon GO を使っていただくことで、本当に多くの方が、健康になったり、家族一緒にできる楽しみが増えたり、自閉症のお子さんが外に出られるようになったりと、思っても見なかったような素晴らしいお話を沢山聞かせていただきました。

ただ一方で、ご迷惑をおかけしたこともたくさんありました。こんなに急激に規模が拡大するとは私たちも予想していなかったし、いろいろな地域のみなさんも突然の想定外のことが起きて、人がたくさん来たことで、ご迷惑をおかけしてしまったことがあるのかもしれない。

サービス開始から一年で、おかげさまで随分と落ち着いてきたというところもありますし、地域社会、行政、いろいろな方とお話をするなかで、こうしたリアルワールド・ゲームとの上手な付き合い方を、多くの方が議論してくださっている状況です。サービスを提供していく中で、一つずつ改善を続けることで、より前向きに使っていただけるように、こうしたお声に真摯に向き合っていきたいと思っています。今後も、改善を続けて行きたいと思っています。

ストリートビューと衛星・航空写真による、被災状況の公開に至った動機

東日本大震災のとき、私は米国に転勤して間もないころで、シリコンバレーの自宅にいたんです。私も東北の出身なので、なにかできることがないか、ということで、Googleの災害対応チームにすぐ入りました。最初にやったのは、衛星写真をGoogle Earthとマップに出すということでした。被災地の現状がテレビでずっと放映されていましたが、あたりまえかもしれませんが、報道は被災したところを写すけれど、被害が幸い軽かったところというのは映らないんですね。でも多くの方は、実際はどこまで津波が来たのか、うちの親戚の家は被害を受けたのか、あの人のいる病院は大丈夫なのか、そういったことを知りたいと思ってらっしゃる。なので、衛星から撮影した写真をまずは公開して、被害の状況を確認していただけるようにしたんです。

その後しばらくして、ストリートビューの撮影をしないか、というお声をいただくようになりました。もちろん最初は避難と救援が最優先ですし、道路もまだ通れない、ガソリンも手に入らないような状況ですから、すぐ撮影をするということはできなかったわけですし、私達としても、現地の方のお邪魔になるようなことは避けなければいけないということで、検討は後回しにしていたんです。

ただ、その後現地にいらっしゃった報道関係の方などから、「今回の災害は、あまりに大きくて、一つのカメラではとても収められない。ただ、これほど大きな被害を残しているこの災害を、未来に残すためにも、記録はできるだけ残した方がよい。ストリートビューという仕掛けをもっているのだから、ぜひ使って、できるだけ広範囲で記録を残したらどうだ」と多くのお声を頂いたんです。地元の自治体の方からも、ぜひやるべきだというお話をいただいて、2011年の7月に、宮城県気仙沼市から撮影を開始して、12月に公開することができました。

その際はできなかった福島県の浜通りも、その後自治体の皆さんのご協力を得て、2013年4月には浪江町を皮切りに公開することができました。ふるさとを離れている多くの方に、街の今を知ってもらいたい、戻ることができない故郷の道を歩きたい、そんな思いにお応えできたのかと思っています。撮影することに対しては、ご批判もあろうかと思っていましたが、おかげさまで本当に多くの方から、感謝の言葉を寄せていただきました。

現状を記録・保存・公開するということを長い間続けることが大事なんだと思います。私がGoogleのチームを離れてからも、少しずつ更新を重ねてくださっているようです。情報が重なっていくたびに、データの価値が上がっていく、最初にお話したようなインターネットらしいサービスになってくれたらいいな、と思っています。昔の人は、津波が来た高さに、津波石と言われる石をおいて、未来の世代へメッセージを残したのだそうです。新しい街ができて、子供・孫の世代になると、私達が経験した震災の記憶はどうしても薄れていくでしょう。長く続くことで、未来へ語り継ぐ一つの道具として使っていただければ、作り手としてこんなにうれしいことはありません。

IMG_5820.JPG
演者の河合さん(右)とインタビュアーの鈴木(左)


私の地元も東日本大震災の影響を受けており、該当エリアのストリートビューが公開されたとき、その画像からの情報が本当にありがたいものでした。

最後に、河合さんにお時間頂きインタビューさせていただきましたが、インタビュー予定時間をオーバーするくらい内容が豊富で、これを聞いたら得られるものがたくさんあると感じました。特に、インターネットとロケーションの関係については、必見です!