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2007年02月23日
私にとってJANOGとは 〜立崎

JANOGスタッフで会場設営等を担当した立崎です。

JANOGへは、参加者としては、過去に3回出席しました。
参加する毎に自分の知らない分野の知識を得て良い刺激を受ける事は出来ました。
ですが、JANOG参加者に知り合いが全くいない事から人とのコミュニケーションは思うように出来ませんでした。
JANOGとより深く関わってみたいという思いから今回初スタッフとして参加させていただきました。
打合せや懇親会を通じて、様々な人々と意見を交わす事が出来ました。。

私にとって、JANOGとは未知との遭遇です。
 ・社内にいては、知り合えない人との交流。
 ・自分の知らない技術とのふれあい。
 ・様々な視点から見たInternetの現状と将来像。
 ・・・

これからも、スタッフとして参加してみたいと考えています。

日時: 2007年02月23日 07:27|
2007年02月21日
私にとってJANOGとは 〜山崎

こんにちは。JANOG運営委員の山崎です。
運営委員会の中では、システム担当という役目を仰せつかっています。

私が最初にJANOGに参加したのは、JANOG12@札幌 でした。
実は、JANOG歴はそれほど長くないんですね。

JANOG12〜14までは、参加者でした。
スタッフに始めて応募したのは、JANOG15@掛川 です。

その後、連続してスタッフ参加し、おおよそ1年前くらいから、運営委員直属の
システム担当というお仕事を頂き、JANOG19を機に運営委員となりました。

さて、「私にとってJANOGとは」、というお題をもらいましたので、JANOGにつ
いて感じていること、考えていることを書きたいと思います。

始めてJANOGに参加した時、私はエンタープライズネットワークのLAN部分を担当
しており、Layer2エンジニアでした。会社に入社してから、L2のテクノロジーをメ
インで学んできた私にとって、初参加のJANOGは未知の領域、ほとんど用語もしら
ない分野に関するプログラムが目白押しでした。

その後、連続してJANOGミーティングには参加しているわけですが、JANOGは、そ
んな私にいつも新しい興味と気づきを与えてくれます。

やはり、会社にいると、狭い分野に偏ってしまうところがあると思うのですが、
JANOGに参加して、刺激を受けてきたおかげで、とりあえず興味だけは狭くならず
に居ると思います。(もっと勉強しないといけないとは常々思っていますが・・・)

また、JANOG15からスタッフ参加するようになってからは、一気に人的なつなが
りが広がったような気がします。
これも、JANOGのすばらしいところだと思っています。毎回、新しく参加してく
れるミーティングスタッフだけでも、なかなかの人数ですし。

現在は、運営委員として、WebやMLのメンテナンスなど、システムに関すること
を担当していますが、JANOGに参加している皆さんが、快適にJANOGと付き合えるよ
うな下地作りに励んでいきたいと思っています。

現在は会社も変わり、あまりネットワークオペレーションをすることも無くなっ
てしまってはいますが、JANOGは私の心をがっちりとネットワークに繋ぎ止めてくれ
ている、そんな感じでしょうか。


- JANOG運営委員 山崎佑司 -

日時: 2007年02月21日 22:44|
私にとってJANOGとは 〜津島

「IPトレースバック」セッション担当PCの津島です。
JANOG発足当初から参加し、スタッフとしての参加も今回で10回を超えてしまいました。
飽きもせずに続けてきたのもJANOGコミュニティがそれだけ魅力的だということになりますね。

- JANOG19スタッフ 津島雅彦 -

日時: 2007年02月21日 22:13|
私にとってJANOGとは 〜東村

PCにスタッフで参加した東村です。

私は今回 PC として二回目のスタッフ参加でした。

毎回、参加するたびに新しい発表があり、新しい議論が生まれる・・。そんな素晴らしい場が JANOG だと思います。
もちろん、参加し議論するだけでも楽しめますが、スタッフとして議論となる資料を発表者の方と作り上げていく、サポートしていくというのも楽しく面白いものです。
二回目のスタッフということで、一回目よりも慣れ、自分自身がスタッフを楽しんでしまいました!

今後も参加はもちろんのこと、スタッフとして参加したいと思います!

- JANOG19スタッフ 東村誉 -

日時: 2007年02月21日 21:40|
私にとってJANOGとは 〜樽井

JANOGとは・・でなく、わたしにとって "JANOG staff" は
学生時代の部活動に似ています。

 ・年に何回か大会(meeting)があり、
 ・数ヶ月前から準備(事前打ち合わせ、飲み会)をして、
 ・(遠征して)イベントを楽しんだ後もちゃっかり遊んで帰る。

2日間の本会議だけでは得難い知識をえることができます。

- JANOG19スタッフ 樽井行保 -

日時: 2007年02月21日 08:03|
私にとってJANOGとは 〜高橋

LA/Orgに初スタッフで参加した高橋です。

JANOG自身にはJANOG9(富山)から参加者として参加。これまで5年間、ミーティングでの皆さんの様々な発表・討議に、はっとしたり、わくわくしたり、納得したり、考えたり、と楽しく参加させて頂いていました。でも他イベントで少しスタッフとして過ごす経験をもつうちに、このミーティングにも携わることができたら今後の自分のイベント経験にも役に立つかなぁなんて思い始めていました。さはさりながらJANOGスタッフって精神的敷居が高いのもジジツ。ところが今回は初挑戦がスタッフ応募の条件と絶好のチャンス:-)。本業との両立は若干悩みましたが、思い切って参加してみることにしました。

で結論。スタッフに参加してよかったと思います。たくさんの人と新しく知り合うことができました。もちろんイベント運営方法などいろいろ勉強できました。

開催前、一番心配だったのは参加者の皆さんに自分が感じたわくわく感をもってお帰りいただけるかしら?ということ。でも多分きっと大丈夫だったと信じています!

私にとってJANOGとは自分の修行の場所であり、ネットワークだけではなく人と人のつながりを作り出せる大切な場所です。スタッフとして参加できてとてもうれしかったです^^)

- JANOG19スタッフ 高橋昭子 -

日時: 2007年02月21日 00:30|
2007年02月20日
私にとってJANOGとは 〜佐々木

JANOGは趣味です。

ミーティングスタッフをやっていると、聞きたいことをプログラムにできて、
より詳しい話が聞けるので、ずぶずぶとスタッフをやり続けております。

- JANOG19スタッフ 佐々木 健 -

日時: 2007年02月20日 23:52|
私にとってJANOGとは 〜樋口

JANOG19 会場・設営関係担当委員(LA/Org)の樋口です。

今回、沖縄うまうま情報の発信やJANOG19の進行表の作成などを担当させていただきました。

私自身、JANOGへの参加がJANOG17、JANOG18の2回とJANOG歴は浅く本業の社歴も浅いです。そのため自分なんかが参加して大丈夫だろうかという不安もありましたが、上司からの熱い後押しもありスタッフ初参加することとなりました。
応募したLA/Orgのスタッフは全員初スタッフで、初めは何をしていいのか担当となったものが何なのかもわからない状態でした。しかしChairなお二人に助けられ、LA/Orgだけでなくスタッフ全員で協力し本番をむかえました。反省すべき点はいくつかありますが、結果としてとても満足のいくものができあがったと思います。

JANOG17、JANOG18、そしてスタッフ参加のJANOG19で感じたJANOGとは。
Windows Vistaの発売でDNSクエリの増加するというL8以上の要因(社会的要因)がネットワークへの影響が大きくでるとは思いもよりませんでした。
JANOGへの参加がなければまったく意識しなかったと思います。
知識だけではありません。
人と人とのコミュニケーションがとれる懇親会があり、L1〜L7(それ以上も?)の人たちと接することができます。

自分の知識と人脈が広がり、かつ日本のインターネットの議論ができる。
JANOGとはそういう場所では、と思っています。

- JANOG19スタッフ 樋口 歩 -

日時: 2007年02月20日 10:42|
私にとってJANOGとは 〜波田野

JANOG19でLocal Arrangementスタッフをつとめました 波田野 です。
今回、主に沖縄豆知識やお食事マップ(一部)の作成を担当しました。

JANOGへの参加はISP勤務時代のJANOG9,10以来とかなりご無沙汰でした。
当時はIPv6関連の話題に興味があり、IPv6アドレス割当ポリシー(おかわりルール)が目の前で議論され、世界へ提案されていく様を見て感動した記憶があります。

今回、JANOGスタッフ未経験者限定のLA/Orgスタッフ募集とのことで、絶好の機会かつ弊社がJANOG 17で協賛した関係から大ボスにハッパかけられ:-)、社内調整の結果、業務としてスタッフに参加することができました。

# 別口でPubチェアーの佐々木さんからPubスタッフに誘われたのですが、
# そちらは蹴っちゃいました。ごめんなさい(笑) > 佐々木さん


スタッフ業務としては、今まであまり経験のない広報寄りな作業が多かったのですが、LA/Orgチェアーのお二人、現地メンバを含むスタッフ仲間(全員初スタッフ!!)みんなの手厚いフォローをいただき、不慣れながら非常に楽しく作業をすることができました(^^

今回スタッフ参加して強く感じたことは、スタッフのみなさん、発表者のみなさんがそれぞれに熱い想いを持って参加されていることでした。(もちろん本会議参加者のみなさんも熱いです!!)
生身の人間が熱い議論と交流を深めるところ、そして次なるモチベーションをもらえるところ、それが自分にとってのJANOG。かなと思います。

沖縄、最高でした!
次は帯広でお会いしましょう(^^

- JANOG19スタッフ 波田野 裕一 -

日時: 2007年02月20日 00:56|
私にとってJANOGとは 〜松川

「聞きたいプログラム」の募集があり、募集締め切りの最終日に「応募してみようっと」と勇気を出して書き込んで、まさか自分が初スタッフで「プログラムプロデューサ」としてプログラム作りに携わることになるとは思ってもみなかった松川です。

最初は初スタッフですし「聞きたい」というものしか無い状態で、テーマを掘り下げたものやスピーカーも何も決まっていない中でのプログラム作りでしたので大変でしたが、すばらしい仲間と"志願"頂いたスピーカの方に支えられ、プログラムを無事に完成、個人的には満足な形で終了することができ、本当に良い経験になりました。初スタッフで素人の私でも「聞きたい!勉強したい!」という情熱があればなんとかなるというのがJANOGの素晴らしいところでした。

私のJANOG歴はJANOG3が最初であり衝撃を受け、そこから「観客」としてずっとJANOGを見てきました。観客として見ていても「良いインターネット文化」からくるのか、お互いに「愛」をもって助け合う雰囲気を感じていましたが、スタッフに入れて頂き間近で「熱い感動」をもらって、さらに新鮮な目でJANOGを見ることができるようになりました。

そして、さすが「愛」でネットワークや技術を見ているメンバーが多いので、みんなの語りは刺激に満ちており、そのようなメンバーと話をすることで、私のネットワークへの愛が増し世界が広がりました。

今回のJANOG、個人的には初の沖縄でしたので、景色、文化や美味しい料理にめちゃくちゃ刺激を受けて最高のJANOGだったのは言うまでもありません。

次はどうでしょう。。(北海道に出張するための口実が必要な人は是非スタッフで! 動機はなんであれ、きっと世界は広がります。)

- JANOG19スタッフ 松川良樹 -

日時: 2007年02月20日 00:15|
2007年02月19日
私にとってJANOGとは 〜山川

JANOG19にPC(初スタッフ)として参加しました、山川です。

私にとってJANOGとは、楽しみながら情報共有し、小さな悩みも分ち
合い、みんなの暖かい人柄で解決する。そんな素敵な集合体です。

今回、スタッフとして参加することで、身に染みて感じました。

JANOGerのみなさん。みなさん一人一人の気持ちがJANOGを支え、
JANOGを形成しているのです。

さぁ、次は(私の故郷)北海道でミーティングです。
悩みがある人はMLへ投稿。ネタがある人はスピーカーに。それを
間近で深く関わりたい人はスタッフに。
それぞれの形でJANOGを作りましょう。

- JANOG19スタッフ 山川 哲司 -

日時: 2007年02月19日 23:32|
私にとってJANOGとは 〜吉浜

JANOG19で現地LAを担当した吉浜です。

裏方に徹するつもりがオープニングに「沖縄のインターネット事情」の一部を発表する事になり、実はかなりドキドキして初日を迎えました。私の初参加JANOGは秋田。それ以来JANOGは年2回開催されるルーターエンジニア祭典のイメージが強く、発表を行うのはもちろん、スタッフになるのも敷居が高い気がしてました。たまたま沖縄開催だった事と、LA/Orgが初心者限定で募集された事もあり、JANOGに深く関われる機会に恵まれてとてもラッキーだったと感じています。すべてを上手くできたとは口が裂けても言えませんが、スタッフにしか分からない貴重な経験を、享受した事だけは間違いなさそうです。

私にとってのJANOGとは、とびきりの刺激をあたえてくれる素敵な場所。すこしでも興味ある方は、思い切ってスタッフに名乗りをあげてみては如何でしょうか?

- JANOG19スタッフ 吉浜 賢 -

日時: 2007年02月19日 23:22|
2007年02月18日
私にとってJANOGとは 〜三ツ木

JANOG19でPC(初スタッフ)をつとめました、三ツ木です。

私にとってJANOGとは、特に「ミーティング」についてですが、参加し、
膝を突き合わせて話をする場。参加者が全てと思っていました。

JANOG Meetingのスタッフは色々なことに、深く広い知識を持った人で
なくてはできないに違いない。私はそう思っていましたが、今回、PCを
募集していたプログラムにちょっと興味があったことと、場所が沖縄だっ
たので?、ちょっとイケイケ気分で「なんくるないさ〜(沖縄の言葉で、
なんとかなるさ)」と、スタッフの輪に飛び込んでみました。

飛び込んだ結果は...みなさんのアンケート結果が全てです。色んなご意見
を戴き、そして新しく濃い人間関係もでき、なかなか普通の会社生活では
味わえない、貴重な経験をすることができました。

今まで参加者としてはJANOG Meetingに接したことがあるけれど、実は
スタッフもやってみたいと思っているみなさん、ぜひ、スタッフも経験
してみて下さい。なんくるないさ〜、別のJANOGの魅力が見えて楽しい
ですよ!

- JANOG19スタッフ 三ツ木 絹子 -

日時: 2007年02月18日 00:00|
2007年01月24日
私にとってJANOGとは 〜 かわしまむ

JANOG19では、PC Co-Chair をさせていただいている川島です。

JANOG Meetingで展開される議論の裏側では何が行われているのだろう?
と興味を持ったのがスタッフとして参加することになったキッカケです。

気がつけば、JANOG11から皆勤?でスタッフとして参加させていただいています。

JANOG11 Program Committee
JANOG12 Program Committee
JANOG13 Program Committee Co-Chairs
JANOG14 Steering Committee Co-Chairs
JANOG15 Local Arrangement Co-Chairs / 発表者
JANOG16 Program Committee
JANOG17 Program Committee
JANOG18 Producer Program Committee
JANOG19 Program Committee Co-Chairs

こうやってみると PC(Program Committee)として、
プログラムに関わるのが大好きな自分がよくわかります。:-)

もともとは地方ISPのネットワーク設計などを担当していたこともあり、
BGPオペレーションに関するノウハウが知りたくて参加していたのですが、
今では担当業務が変わり企画や開発サイドの仕事になった事もあって、
IPv6に関する標準化 / オペレーション / ポリシー動向などが最近の興味の対象です。

これからのJANOGは、オペレーションコミュニティとしての核を維持しつつ、
関連団体との協調による成果も見出せるコミュニティであって欲しいと思います。

そのために今後も貢献できることがあれば微力ながら活動していきたいと思います。

最後になりましたが、私にとってJANOGとは、
「知識的、人間的な刺激をもらい自分を大きく成長させてくれる場所」ですね。

- JANOG19スタッフ 川島 正伸 -

日時: 2007年01月24日 02:01|
2007年01月11日
私にとってJANOGとは 〜馬渡

今回の JANOG19 では、広報スタッフをやっています。馬渡です。

JANOG とは。。。あらためて考えるとなかなか言葉にしずらいですね。

ざっくりと書くと、xSP、iDC、回線キャリアなどの設計者、運用者、ネットワーク関連機器のメーカ/ベンダ、ネットワーク関連の研究者、などなど。。。ネットワークを中心にして様々な業務に従事している方が集まっていて、メーリングリストに登録をしている人数で数えると5000人前後のメンバーがいる場所です。

メンバーのそれぞれが似たような仕事をしていても、人によって考える事は大なり小なり違っていて、それを議論したり共感したりする事が出来る環境って言うのは、とても貴重なのだなと改めて感慨にふける事があったりします。

JANOG が 1997年 に設立されて、今年が2007年なので、もう10年目に入るようですが、まだまだこれからと言う思いがあります。JANOG の他にもいろいろなコミュニティはありますが、JANOG にしか出来ない事と言うのはいろいろあるはずと思いますので、メンバー全体で可能性を考えていければうれしいです。

ぜひみんなでわくわく出来る事をやりましょう。

- JANOG19スタッフ 馬渡 将隆 -

日時: 2007年01月11日 01:37|
2007年01月10日
私にとってJANOGとは 〜林

今回のJANOGとはシリーズのお尻たたき役の眞樹です。

最初に参加したのは忘れもしない冬の京都"JANOG3"です。当時BGPルータなど
触り始めた頃の私はこの業界の開けっ広げで、会社人としてではなく1オペレータ、
1エンジニアとして分け隔てなくネットワーク技術ネタで盛り上がり、新参者
の私を何の抵抗もなく受け入れてもらえた諸先輩方に、自然と引き込まれて
しまいました。
実際に本や機器マニュアル読んでも書いてないことが、誰か知ってそうな人に
聞くと経験談で答えが返ってくる。運用技術ってやっぱり経験と実績が意味を
持つものであると思うので、そういう生の声を聞け、それぞれが知識と経験を
持ち寄って総合的なCommunityとなっているのがこの場であるような気がします。

スタッフ参加は、関西在住ということもありJANOG7(大阪)でPubを担当した後は
PCを何度か担当したり、普通に参加したり、JANOGで知り合った方に声かけて
もらい2000年問題で大手町に泊り込んだり日々刺激を求めて参加させて頂いてました。
その後、お仕事的にはNetwork運用からデータセンター屋へと異動したおかげで、
出張が認められにくくなり、泣く泣く自腹で地方開催追いかけて行きましたが(笑

自分にとってJANOGってやっぱり初心に帰るとこです。みんなが目指すもの、
人のためになる仕事しなきゃなんてことを思い出させてくれる存在です。

- JANOG19 Pub 林 眞樹 -

日時: 2007年01月10日 23:32|
2007年01月09日
私にとってJANOGとは 〜工藤

JANOG19 SCの工藤です。

スタッフの皆さんが「JANOGとは」ということで投稿されていますので、私からも...

JANOGの存在はそれなりに古くから知っていたと思います。とは、いっても私がオペレーションを始めたのが2000年くらいからなのでそれ以降ですが、まあ7年経っているので「古く」でいいですよね。
当時は北にある大きな島で仕事をしていたので、ミーティングには一切出席できませんでした...
そのころの上司に「JANOGミーティングに出席します」と言って出張申請しても却下されていたと思いますし、それを押し通すだけの情熱もありませんでした。
そんな年月を送っていたある日、なんと地元でJANOGミーティングが開催されることになったのです!
これは行かねばと思いつつ、会社がホストをしていたこともあり(共催ですが)かる〜い気持ちでスタッフに応募しました。今考えると何も躊躇してなかったですね。
このような経緯で「初ミーティング・初スタッフ」になったのですが、とても楽しかったです。
「表」を見ずにいきなり「裏」から見てしまった手順違いはありましたが、ミーティングを盛り上げていこうというスタッフの意気込みを感じながら、心地よく当日を迎えられた思い出があります。
それからというもの、ミーティングに出席するときは、ほぼスタッフをやらせてもらっています。一度出席すると、出張申請も「情熱」で通せます!これは事実です。特にスタッフの熱意を知っている場合は気合が違います。
と...裏方の話ばっかりしてると勧誘になっちゃいますね。

数少ない「表」のみ出席したときに感じたことは、他の方の意見と重なりますが、「オープン」なところになります。普段はきっといろんなことを考えてる(私にとっては)エライ方も一人の出席者として意見を述べている。また、それに自由に意見を言うことが可能で、議論が終わった後も懇親会等で直接お話をすることができる。そうやって意見を交換することができると、それをミーティングに還元したくなる...
こんなやり取りの繰り返しでJANOGミーティングは成り立っているんだなぁ、と心底感じます。
(ミーティング出席→「何か」を得る→自分の中で消化する→ミーティングで議論する→繰り返し...)
おぉ、そういえば今回から「オリエン」なるものも開催されるではないですか。
これも「還元」していくための礎になるとうれしいですね。#ちょっと宣伝。

丁度、次回は「JANOG20」という節目にあたります。今回のミーティングに出席することで、次回からより充実した議論に参加できると思います。
最後になりますが、ミーティングへの出席が難しい方の気持ちもよくわかっているつもりなので、WebやMLの充実も必要だと感じています。ここは今後の宿題にしておきましょう。

結論:
私にとってのJANOGとは?「ミーティングにしてもMLにしても、得られたものを還元していく場」

- JANOG19スタッフ 工藤 真吾 -

日時: 2007年01月09日 21:08|
私にとってJANOGとは 〜國武

 今回、JANOG19ミーティング広報担当として参加している國武です。

 そもそも私がJANOGとかかわりを持ったのは、現会長の近藤邦昭さんが職場の上司だったときに、MLへ誘われたのが最初だったでしょうか? そのときは、後に私自身転職を重ね、初代会長が当時勤めていた会社(デジタル・マジック・ラボ、現アンカーテクノロジー)に流れ着くことになろうとは思いもよりませんでしたが(^_^;

 最初はメールを読んでしたが、ミーティングに参加するようになると(確かJANOG4が最初でしょうか。実はJANOG3@京都の会場にはいたんですが、裏でやってたLinux Conference'98に参加してたり……)、ロガー(議事録係)をやってみたり、発表者として、さらにはスタッフとして参加するようになりました。

 もはや私自身はネットワークのオペレータから離れて久しく、Linuxサーバを触ってばかりですが、いまだにJANOGに参加しているのは、今も昔も、会社の垣根を越え、現場のエンジニアが本音を話し合える稀有な場、得難い存在だと考えているからです。ですので、今後もますますの発展を遂げてくれるとうれしいですね。そのためには、MLの参加者はもちろんのこと、JANOGミーティングを支えるスタッフの存在もまた不可欠だと思ってます。
 そのJANOGミーティングスタッフですが、、固定化されているのでは?と思う向きもあるかもしれませんが、実は毎回「今回がスタッフ初めて!」という方がおられます。いつも門戸は開かれていると思いますので(たまに人数が多すぎて断られることもないわけではないですが)、次回、このエントリーを読まれているそこのあなた!スタッフとして参加されてみるのはいかがでしょう? 少しでも悩まれた方は是非!
 私自身、実際にスタッフとして参加する前は、躊躇することもありました。きっと、スタッフとして参加してもしなくても、いろんな面で後悔する場面があると思うんですが、行動せずに後悔するぐらいなら、行動して後悔する方がいいですよね。次回のスタッフとしての参加、おまちしております(^^;

#ありゃ、スタッフの勧誘文になっちゃった

日時: 2007年01月09日 19:18|
LA/Orgの目標は、ストレスレスな環境の提供です。 〜鶴巻

LA/Org Co-Chairsの鶴巻です。
今回はホストとしてもJANOG19 Meetingの会場・設営関連の
サポートを行わせて頂いています。

さて、私の本業での主業務のひとつは、hostmaster業務でして
(whoisで名前が出てくる人、と言えばわかりやすいでしょうか)
この関係で主にAPNIC、時たまNANOGなどに参加する機会がある
のですが、多くの会議のWebには"Travelers Guide"みたいな
項目(もしくはリンク)が用意されており、周辺の観光情報や
お店の情報が入手できたりします。その上、現地の受付の近辺
にはちゃっかりツアーデスクまで完備されていたりすることも多数。

日本人的感覚でいうと、「まじめな仕事の場に観光なんてケシカラン」
と感じる方もいらっしゃるのではないかと思います。

でもJANOG Meetingのベテラン(?)の方はよくご存じの通り、
様々な地域、業種の方と幅広く交流をもてる場というのは、
決して本会議場だけではなく、むしろ懇親会であったり、
その後繰り出した居酒屋だったりしますよね? :-)

『スタッフ/発表者/参加者にストレスレスな環境を提供する』

これが今回LA/Orgが掲げたテーマのひとつです。
このテーマ実現の為、今までのJANOG Meetingではあまり触れ
られることの無かった周辺情報や観光情報を、積極的に公開
していく試みを行っています。

# Topページ左下の"沖縄xxxx"からリンクをたどれます

「居酒屋でさらっと注文できるよう用語集を作ろう」、
「会場周辺に店が少ないので、せめて近隣のオイシイ御食事処を
 自分たちの目と口で確認してレビューしよう」
などなど、どれも出席者のみなさまが、本会議以外の場でも
ストレス無く過ごせるためにはどんな情報が必要か、とLA/Org
スタッフが考え、調査したものです。

Meeting当日は是非これらを印刷して持参していただいて、本会議は
もちろんのこと、Off 本会議においても有意義なひとときを過ごして
頂ければ幸いです。

日時: 2007年01月09日 14:18|
私にとってJANOGとは 〜橘

one of 運営委員の橘です。

JANOG19の準備が進行中ですが、このミーティングの準備状況をお知らせする
ウェブサイトの中で「私にとってのJANOGとは?」というお題で一文書く事を
実行委員からリクエストをいただきました。私自身がブログを書いた事が無い
ため、読みにくいエントリとなるかもしれませんが、お許しください。

JANOGとの関わりは設立当初から、と言いたいのですが、私自身は活動開始時
点では運営委員ではありませんでした。しかし、設立時期近辺に開催される各
種会合には可能な限り参加していましたし、JANOG1ミーティングの開催時には、
今でいうミーティングの実行委員の一人でした。JANOG1では、自分は開催当日、
本会議に出席できず、懇親会にだけ出席し、司会をやってました。実は、自分
がJANOGでマイクを持つという事は、JANOG1からやっていたのだということに
気づかされました(笑)。

JANOG1ミーティング開催後、運営委員としてお手伝いをすることとなり、現在
まで関わらせていただいています。

と、いうわけで、私の思いの多くの部分は、JANOGの大きな柱の一つであるミー
ティングの開催に集約されるのではないかと考え、続きを書くことにします。

どんなカテゴリの技術、いや技術だけに限らないとも言えますが、同じ事に興
味を持った集団というのは、いつの時代にも存在してきました。

技術、という視点で私が見聞きしてきた範囲を見回してもOS、プログラミング
言語、ワークステーション(今や死語かもしれませんが)の所有者、特定のベン
ダーのルータ、特定のアプリケーション、さらには特定のプロトコルについて
まで、色々な集まりが存在しています。これらは必要に応じてミーティングや
宴会を開催することで交流を深めて、集まる人の技術の向上や問題点の共有に
役立てています。しかし、開催の形態や集まる規模には有料、無料の区別があっ
たり、数人から数百人、数千人の規模まで様々です。

私は、これらのコミュニティで会が盛り上がるかどうかは、集まる人のレベル
の高低や集まる人の年齢層に依存するものではなく、お題となっている事柄へ
の熱さに依存している、、と思っています。熱さが続くお題であれば長続きし
ますし、そうでなければ、そのコミュニティは長続きしません。

JANOGは、インターネットの運用という大きな範囲を取り扱うコミュニティで
あり、特定の技術に特化した集まりではありませんが、時代によって扱う事柄
が変化することで、一定の熱さが継続され、始まった当初から今日まで続いて
きたのではないかと考えています。変化し続ける「熱くなる対象」に興味をも
つメンバーが、興味のあるジャンルを越えてJANOGのコミュニティそのもの、
その一部であるミーティングの開催を継続する為に協力し合っている状況は皆
さんが御存知の通りです。

ミーティングの運営形態は変化を続けており、ホストに準備していただいた場
所を使わせていただく、、というのは同じですが、その開催場所は特定の企業
が保有している会議用(セミナー用)スペースを使わせていただいた時代から、
最近では企業保有とはいえ、外部貸し出し可能とも思える設備を持つ場所であっ
たり、ホテルの宴会場を提供いただくケースも増えています。

一方でミーティングの運営体制も変化しています。スタッフの人数的な規模も
拡大していますし、ミーティングスタッフを公募することだけではなく、最近
はミーティングスタッフをとりまとめるSCの公募も実施しました。

利用する場所や運営の形態は変化していますが、JANOGミーティングの運営の
基本ポリシーは変化していません。それは次の二つです。

-ミーティングそのものは無料で参加できる
-利用する言語は日本語

このポリシーは間違っていないと今も思います。

無料で参加できるミーティング、、というのは継続するのがすごく大変なので
すが、これは支えてくれる人や組織があった上で実現できています。未来永劫
続くかは分かりませんが、少なくとも続けたいというのが運営委員全体の意思
です。

利用する言語を日本語に限定していると言いながらも、過去には日本語を母国
語としない国の方によるプレゼンテーションも幾度か登場しています。ただし、
このような時には、発案したり、話者をご紹介いただいた方(もしくは組織)に
通訳を準備していただいたり、発案者がミーティングの実行委員である時は、
その実行委員が通訳として協力したケースもあります。我々は仕事の中で英語
を利用するケースは多々ありますが、通訳としての専門教育を受けていないに
もかかわらず、協力を申し出てくれた実行委員の能力の高さに驚かされたこと
もありました。

規模が大きくなると、ミーティングの運営そのものの負荷が高くなり、
「ミーティングの中身を充実させる」
「ミーティング運営をきちんとする」
という二つの視点のバランスを取ることが難しくなるケースが起きます。

これらの多くは、参加している人同士が協力を進めるうちに、うまくバランス
がとれてくるものですが、時に運営そのものに注意を払うことが重要となるケー
スもあります。その時は運営に参加しているメンバーのそれぞれの知識や経験
を活かして解決してきました。集まる人の多様さによって助けられているとも
言えます。イベント運営が本職であるJANOGのメンバーというのはほとんどい
ないであろうと想像していますが(もし、いたらごめんなさい)、それにも関わ
らず、段取りをちゃんとできる人が集まると、イベント運営のプロに近い動き
ができるものだと感じました。

私は懇親会でスタッフ紹介をやらせてもらっていますが、ここではミーティン
グを多様な人達により作り上げていただいた事に感謝すること、運営に加わる
事で、充実した時間を過ごせる事をお知らせし、今後も多様な人達が集まるこ
とでJANOGを皆さんと一緒に続けていけるよう、マイクを通してアピールして
いるつもりです。

また、前説と称して、二日目の朝の開始前にお話をさせていただくケースもあ
りますが、これは懇親会の様子や、ミーティングの裏側を少しでもお伝えした
い、、との思いでやっています。

本会議の司会、懇親会の司会、前説、、と色々とマイクを持っているケースが
ありますが「本当は橘が楽しいからやっているだけでは?」とお思いの方もい
るかと思いますが、、、、、正解です(おい)。

私がお役にたてる事が一つでもあるなら、と思うと同時に、お手伝いしている
中で私自身も楽しんでいます。

私にとってのJANOGは、インターネット運用者が世の中での立ち位置を考える
事のできる場所だと思っています。刻々と変化するインターネットの運用に必
要な技術に対して、各個人が可能な範囲で語ることで、時代が求めている運用
者の立ち位置を皆で共有できればと願う場であり、同時にコミュニティ運営の
楽しさを得る場でもあります。

では、皆さん沖縄でお会いしましょう。

- JANOG 運営委員 橘 俊男 -

日時: 2007年01月09日 13:32|
2007年01月06日
私にとってJANOGとは 〜 taji

多くを学び、多くの人と交わえる大切な存在です。

- JANOG19スタッフ 田島弘隆 -

日時: 2007年01月06日 15:57|
2007年01月04日
私にとってJANOGとは 〜 こんどう

■私にとってJANOGとは

皆さんこんにちは、運営委員をやっています近藤です。
一部では、会長とか言われていますが、最近ミーティングスタッフの間では、「怪鳥」と呼ばれているようです。怪しくとも飛べない鳥な私にとっては、なんとも勿体無い呼び名です。(もちろん仲間にポセイドンとかもおりません。)

さて、そんな話をしたいのではなく、どうやら「私にとってのJANOG」ということについてお話するということですので、このJANOGの10年を振り返りながら少し私のJANOGへの想いなどをつれづれなるままに書き綴ってみようとおもいます。

皆さんご存知のようにJANOGが設立されたのは1997年でいまから約10年ほど昔にさかのぼります。当時は、インターネットとかIPネットワークといっても100Mbpsといえば「超」広帯域で、海外への回線も6Mbpsもあれば、値段も帯域も相当「高い」ものでした。そんななか、私は1995年にこの「インターネット」という業界に飛び込んだのですが、正直「ルーティング」とかそんな知識はなく当時の上司(いまでは良き友人)から、BGPやOSPFを叩き込まれました。当時は自力で勉強しようにもBGPを独学で学べるほど素材はそろっておらず当時のNSPIXP(現、Dixie)のメンバーミーティングに出ては学んだものです。

考えれば私にとってコミュニティに参加して色々学ぶということを本当に体験したのはこのときだったとおもいます。そこで多くの友人とも知り合いカラオケボックスに男5人すし詰めで歌も歌わずBGPの話をしたりと、なかなか奇妙で、また楽しい日々でもありました。

そんななか私は、NANOGに参加する機会をもらいました。NANOGには既に日本から前会長の石黒さんや運営委員の前村さんなども参加していて、昼はカンファレンス、夜は同じように米国のこれでもかと出てくる肉をほおばりながらこれまたインターネットことを語り合いました。

このNANOGへの参加は私に大きな衝撃を与えました。一つはそのレベルの高さ、今でこそ日本のインターネットは相当に発展していますが、当時は米国は日本に比べ相当多くのトラフィックを抱え、またネットワーク運用維持に関する研究も進んでいたため、日本では触れられていないような技術や考え方が惜しげもなく発表されていました。そして、オープンネス。誰でも参加し、誰でも発言し、そして、議論する。また、新しい技術をみんなで共有する。

私は、「日本ではありえない光景」と感動を受けたのです。これが日本でJANOGを作りきっかけになったことは言うまでもありません。

しかし、これだけだと聞こえが良すぎますよね。そうなんです。本当は私は、英語が駄目、技術は理解するのに時間がかかる、海外に行くにはなかなか出張が難しいと、いろいろハードルがあったため、これが日本で実現できればそれでよし、とも考えていたんですね。

日本でのJANOG設立ではいろいろ議論がありました。結局は、聞きたい人が質問を投げ、それを議論するのはいいが、何百人がそれを「聞くだけ」になっちゃうので、それを公開で行うのは日本の風土には合わないとか・・・。

それでも、やる価値はあるだろうというのが設立メンバー全員の意見の一致です。当時の議論を思い起こしながら少し当時のJANOGの考えを紐解くと・・・。

 - 聞く人が多くなってもそれはいたしかたなし。
  →聞いてる人が勉強になり、次にそういう人たちが議論に参加
    してくるようになれば大きな価値アリ。

 - だから、一切妥協はしない。
  →ミーティング出席者のレベルに合わせて議論のレベルを下げ
    ることは全体の不利益だからやらない。

 - とにかく、ミーティングのスタッフとして集まったみんなが聞きた
   いとおもうプログラムでミーティングをやる。
  →自分が聞きたいんだから、みんなも聞きたいんだろうと割り切
    るそうやって、興味のあるプログラムを作るんだから絶対に面白い

という感じです。

JANOGに対する想いは人それぞれで、期待することも人それぞれだとおもうのですが、ここら辺の根底にあるマインドは今も生きているとおもいます。

こうおもうと、私にとってのJANOGは、メンバーみんなであたらしい技術を考察し、それをどう旨く使うのか、今おきている問題をどう解決できるのかを、垣根なく議論できる場であるとおもっています。もちろん、オペレーターといわれる方々のほとんどは会社に属していて、その会社の秘密情報という枠のな
かで仕事をするのですから、なんでもかんでも話せばよいというわけではありません。しかし、そういうなかでも、旨く情報を出し、そして旨く情報を得る。そして、問題を解決していくということがとても重要で、JANOGはそういうコミュニティのなかでどう旨く立ち回るかも体験できる数少ない開かれたグルー
プで、そういう自由でありながらコミュニティとしてバランスのとれた活動をする場として今後も多くの新しい人たちと出会っていければとおもいます。

---
kuniaki

日時: 2007年01月04日 12:28|
2006年12月25日
私にとってJANOGとは 〜向井

JANOG運営委員の向井です。


JANOG19スタッフから、「あなたにとってのJANOGについて述べよ」とお題をいただきました。

いまどきのインターネット的には、

「バトン風にかけるじゃないか?」

とおもいますので、バトン風に。


・JANOGに参加したのはいつ?

京都でJANOG3が開催された直後ぐらいだったから、1998年末〜1999年始めくらい。

・JANOG meetingに初めて参加したのは?

JANOG4から。まだ学生でした。

・JANOGってどういう存在?

会社を越えての人間関係が作れるところ。つい、会社の中のつきあいを優先してしまうことがあるけど、インターネットはそうじゃない場合が多いです。もし、バックボーンオペレーションの相関図と、人間関係の相関図が作れるなら、相似なんじゃないでしょうか?

・エピソード

JANOGで発表をしたのはIPv6ネタばっかりなわけですが、意外と皆さん興味津々だったのが印象にのこってます。N+Iで、オンラインゲーム系パネルの司会をしたときには、マスコミに取り上げられてました。

・・・といいつつ、発表のやり方、司会はかなり下手なので、皆さんのご指摘を真摯に受け止め、精進します。m(__)m

・今のJanogに想うこと

自分より経験を積んだ人が4000人もいるMLなので、その人たちに何か貢献できればなぁ、とオペレータではなくなった立場から思います。

運用→設計→企画という風に流れてきて、ルータよりExcelとお友達になっていますが、この立場からできることは何か?と模索中です。

企画みたいな全然技術とは関係なさそうな部門にいても、過去の経験からそれぞれの立場の発言は理解できるので、うまくmakeするやり方がきっとあるに違いないんですけど。

・夢(将来のJanog)

nanog+

・Janogで得たもの失ったもの

得たモノ:すばらしい方々と知り合えたこと

失ったモノ:睡眠時間

というわけでずらずら書きましたが、誰かこのバトン引き継ぎます?


- JANOG 運営委員 向井 将 -

日時: 2006年12月25日 15:50|
私にとってのJANOGとは 〜 まえむら

JANOG運営委員の前村です。

僕は創設運営委員会メンバーです。現会長の近藤邦昭さんが当時の会社の(机の下においてあった)サーバにメーリングリストを作って誘われた時にはまだ10人とかしかメンバがいなかったはず。その頃(janog.or.jpに移す以前)のメールアーカイブは消えてしまっているので、すごく細かいことは覚えていません。覚えているのは、本当に何でも好き勝手に言うことができたなぁ、という感じでしょうか。

当時の雰囲気は、fmlのログの最初のほうとか、Pre-Pre Meeting, Pre(JANOG0) Meeting の議事録を見ていただけると垣間見ることができます。

2007年で10周年を迎えるJANOG、創設時代からの運営委員として、「JANOGはどうあるべきか」ということは手を変え品を変えいろんな角度から考えてきたように思います。

最初のうちは、お手本としたNANOGと比べることが多かったです。NANOGは今も当時も、本当に活発であらゆる意見が活発にでてきて面白いと思います。JANOGもああいう感じにしたいなぁ、と思っていましたが、文化の違いかなかなか同じようにはなりません。それでもJANOGのほうも、いろいろな方が満遍なくそれぞれの分野で発言なさるようになったと思います。議論の内容や運営方法も優劣ではなく、違った独自の生態系を生み出すに至っていると思います。JANOGは10歳、NANOGは13歳。それぞれの人生を歩んでいるのではないでしょうか。

ミーティングの内容は、初心者向けにセットして技術の浸透みたいなところを狙う場合と、その領域の専門家数人しか分からないようなハイブローなネタを仕込むときと、状況に応じて考えています。

いわば勝手連として立ち上げたJANOGですが、ここ数年は認知度も挙がってきて、日本のインターネットの運用という領域で参照される団体となってきました。個人情報保護法の対策をやったのは、それくらいの人数を集める団体となったという意味で象徴的ですが、「社会的な責任」というキーワードもここ数年頭をよぎります。

僕個人は、自分で勝手に「ミーティングだけがJANOGじゃないぞ」キャンペーンをずっと展開しています(勝手にそういう気持ちだ、ってことです)。ワーキンググループという枠組みを作ってみたり、掲示板やWikiなんかをメンバで共有するとかできないかなぁ、なんて考えていたりします。

今年、国際対応グループを編成して、コンテンツの英語化や英語問い合わせの対応もできるようにしようと画策中です。ネットワークオペレーターズグループはNANOGだけでなくたくさんあります。*NOGという名前を持つものだけでも、SA,NZ, CN, PAC, Euro, Fr, Nord, Swi, Af とあって、日本で話し合われていることに他のNOGが興味を持つということもあると思うのです。日本がどういうことに関心を持っているか、どういうレベルの技術を持ち合わせているのか、そういったことを他の国の方々に知っていただくのは重要だと思います。こちらもがんばって進めなければ。


最近戸惑うのは、どうも皆さんから「偉い人だ」と思われているようだということです。確かにこの業界のキャリアが10年を過ぎて、偉そうな肩書きを持ってしまっているし、あんまり技術的なことをやらなくなってきているというところはありますが、自分自身としては駆け出しの頃から一貫して、みんなの中の役割分担として自分の仕事をやっているという意識が抜けませんし、なんとなく歳の認識も30歳くらいで止まってしまっている感じが。。こっちはちょっとおこがましいですかね。

むしろ、自分はまだまだ若輩だから、といって遠慮なさるのを見ると、ちょっと残念な感じがします。間違いや知らないこと恥ずかしいと思うのはご自身だけで、仮にもしそうだったとしても、積極的に発言して何かを吸収しようとなさっているんだと周りから思われるくらいだと思います。むしろ新鮮な議論を持ち込むかもしれないし、他の方々の発言を喚起するかもしれない。価千金なんです。ミーティングの会場でプレゼンテーションの後でとか、メーリングリストの議論の中でもそうですし、僕自身個人的にももっといろいろな方々とお話をしたいと常々思っています。


「JANOGはどうあるべきか」に関して、2003年に発行したJC7「JANOG運営委員会・ポジションペーパー」の中では、JANOGがコミュニティとしての、情報交換や共同活動といった本質的な意味合いで価値が高まっていることを願って活動している、と書きました。2007年でJANOGは10周年を迎えますが、10年経ったら10年なりの、何か新しい展開が必要なのかもしれません。JANOGがどういうものであったら嬉しいか、それも、基本的にお金を使わずに知識やリソースの持ち寄りで、嬉しさを最大にするにはどうしたらよいか、この辺、メンバの皆さんそれぞれの考えをどんどんいただけたらと思います。

そのために、JANOG19はいい機会です。僕だけでなく、運営委員や実行委員を捕まえて(スタッフシャツを来ていますから分かりますよ)、感想でもいいですし、アイディアでもいいですので、皆さんの感じていることを聞かせていただければ幸いです。

- JANOG運営委員 前村 昌紀 -

日時: 2006年12月25日 12:04|
私にとってJANOGとは 〜浜田

浜田です。
タイトルがシンプルなだけに、逆に何を書こうか迷っています:-)
今回オリエンテーションの企画にちょこっと絡んだので、
「自分がどうしてJANOGに関わったのか?」というあたりの話を
していきたいと思います。

初めての参加したJANOGは1998年12月のJANOG3@京都でした。
私がIPも良くわからずOCNのバックボーン設計を担当したのが
同年の3月で、このころもまだまだ良くわからず業務をしていて、
その中でJANOGに行ってこいと当時の上司、現インテックネット
コアの荒野さんから言われて登録したのを覚えています。

そんな私ですが、実はJANOGメーリングリストへ登録したのは
次のJANOG4@NECが終わってから。結構ラグタイムがありました。

そのJANOG4では、現在ではもう行われていないのですが、議事録係
(Logger)でJANOGに参加しました。
JANOG4の「IPv6なひととき」見ていただければ、その議事録も
残っています。(懐かしい・・・)

その後JANOG5、JANOG6とLoggerを勤め、初めてのスタッフは
JANOG7@大阪でした。

メーラーをあさって初めてのJANOGへの投稿を探してみたのですが、
1999年6月、「[janog:02328] IPアドレスを MS Excelで、、、」の
前村さんの投稿に対するレスでした。
内容はIPアドレスの管理をするのにExcelを使っているが、なんか
いいTipsない?という内容のものに、いくつかレスがあって、
それに私も意を決して加わったのですが、私の投稿でレスが
ぷっつり途絶えてしまって「まずい、ハズした???」と焦った
のを覚えています。

という風な感じでJANOGに関わり始めたのですが、当時を振り返って
見ると、ルーティングに関する知識不足に焦りを感じていたのを
思い出します。当時、NSPIXP2(現dix-ie)のミーティングに
参加するようになった時も最初は何もわからなかったですし、
インタロップのお手伝いをしててもわからないことだらけで、
このままインターネットの業務に関わってて大丈夫だろうか?
と思い悩む日々が続いた頃でした。

最初の頃は「こんな知識のない状態で参加して大丈夫か?」とも
思いましたが、インターネットオペレータの間でどういう話が
されているか知りたかったのと、NANOGはちょっと敷居が高いな?
ということもあって、JANOGに参加することにしました。

結果として知識が広がるきっかけにもなりましたし、いろんな人
との交流もあって、仕事も楽しくなっていったのを覚えています。

また、知識が多い・少ないに関わらず、このコミュニティーでは
手を動かすことが大事なんです。自分で解決できないことは、
メーリングリストに問い、有識者からの意見をまとめることも
大事です。

そう思えるようになってから、いろんなことに前向きになれた
ように思えます。そんなきっかけをくれたのJANOGかなあ、なんて
思っています。(開き直った、とも言いますが ^^;)

日時: 2006年12月25日 04:14| | コメント (1)
2006年12月06日
私にとってJANOGとは 〜まつとも

JANOGとのかかわりについて。

もう7年も前の話になりますが、私個人がJANOGとの関わり
を持つようになったきっかけ2000年問題というのがありま
す。

会社的に色々なインフラを提供させてもらっている手前、
2000年問題でインターネットが混乱したりしないか監視す
る、というプロジェクトに、ファシリティ面のサポートと
いう事で参画したのがきっかけです。

さて、2000年問題は特に混乱もなく終了したのは幸いとし
ても、ますます重要になってくるインターネットの安定運
用について、会社を超えて議論できる場って、、無いん
じゃない??等と思い始め、、JANOGミーティングスタッ
フに応募し、自分でも何か貢献できないか探ることに。。。

初めて参加したのがJANOG7の大阪開催の時。JANOGの議論
を広報するPubの担当でした。

できるだけ多くの人にJANOGミーティングを見てもらいた
く、janog@janogのMLでの議論活性化等のためにも、特に
要望があがっていた、ストリーミングを苦労して、、苦労
して実現させました!!

#あまり見てくれないじゃん!確か数十アクセスだった?
#なんだよぉ〜。。。

やっぱり、JANOGミーティングは集まって議論できる場に
しないと、、と、強く実感したのもこの時。

JANOG10頃からは運営委員として参加することになり、技術
運用に関わる一個一個の個別の問題を扱うのではなく、、
JANOGってどうあるべきか?毎回のミーティングをどんな風
に運営していくか、、なんて、考える事が多くなりました。

JANOGを今の会社中立的で、技術オペレーションを議論する
ポジションに留まる、というのが解の一つなんですが、私達
をを取り巻く環境や人がどんどん変わっていく現状で、相対
的に同じ位置に留まるためには、自らもある程度は成長・変
化してく必要は当然あると思っています。

いや、もしかしたら全く別のJANOGの形態が良いのかも??
結論はなかなか出ませんが、考え続けることが重要です。

#何か意見あったらcommittee@janog.gr.jpまでご意見を!


今回はJANOG19。次回はJANOG20となり、ついに10周年の
節目を迎えます。

私自身も若手といわれた時代はとっくに過ぎさり、、次の
世代のインターネットの運用に携わる方々にとって、より
良いJANOGを目指すべく、まだまだやれる事はたくさんある
と思っています。その為の努力は惜しまないつもりです。
JANOGの参加者からも、忌憚の無いご意見を頂ければ幸いで
す。

- JANOG 運営委員 松本 智 -

日時: 2006年12月06日 13:37|
2006年12月04日
JANOG と聞いて思い浮かぶこと 〜かねまつ

こんにちは。運営委員のかねまつです。JANOG19 実行委員の方々に「運営委員も記事を書いて!」と仰せつかりましたので、JANOG という集まりについて私の思うところを少し書いてみます。

最初に少し自己紹介を。私が最初に JANOG に出席したのは JANOG1。当時運営委員をしていたかつての同僚から「こんな集まりがあるから来てみない?」と誘われたのがきっかけでした。JANOG4 からミーティング実行委員を何回か経験し、2003年4月から運営委員を務めさせていただいています。

私が JANOG と聞いて思い浮かべるのはオープンさとか率直さです。
オープンさという面では、JANOG はご存知の通り入会資格等が一切ないボランタリーな団体です。通信事業者や xSP の方々、メーカー、ベンダーの方々、研究者の方々など多彩な人々が集まり、各々の立場からインターネットの運用をよりよくしようとしています。

率直さという面では、JANOG9 で NANOG の Susan Harris が来日して話をした際、"Outspoken" という言葉を使っていました。これは辞書で引くと「遠慮なく言う」とか「歯に衣を着せずにものを言う」という意味です。「歯に衣を着せず」とまで言ってしまうと多少ニュアンスとして強い感はありますが、それでも JANOG ミーティングでは、かなり突っ込んだ議論がなされる場面があります。議論が白熱しすぎて時間内にまとまらず、「続きは懇親会で」なんてこともしばしば。

あそうそう、懇親会といえばスピーカの方々と懇意になれるチャンスでもあります。この業界、遠慮がちな方も多いかと思いますが、思い切って話しかけてみては?遠くの演台で話していたあの人やこの人、きっと気さくに応じてくださると思いますよ。

- JANOG 運営委員 兼松 宏明 -

日時: 2006年12月04日 14:49|
2006年11月30日
私にとってJANOGとは 〜池尻

私にとってJANOGとは。

私とJANOGとの付き合いは、JANOG1のときから始まります。そのときのホスト
がNTTで私はLAとしてミーティングのつくりこみに参加しました、当時会社に
入って2年目でOCNのネットワークの開発・運用をやっていました。JANOGでは
諸先輩方に囲まれ、見よう見真似でなんとかやってたような記憶があります。

その後は、1参加者/Pub/PC/SCといろいろな立場でJANOGに関わってきましたが、
思い返してみるとJANOGの本質、特に本会議でやりたいことって最初のころから
あまり変わっていないのではないかなという思いです。日ごろ運用する中で、
自分たちが聞きたいと思ったことをプログラムとして作ってみなで議論する。
そういった場を作りたい。やり方こそ少しずつ、また時には大胆に変わってき
ましたが、本質的な思いは最初のころから変わってないと思います。

さて今回のJANOG19もその本質を追いかけるべく、みなさんも一緒に本会議を
盛り上げていきましょう。

- JANOG 運営委員 池尻 雄一 -

日時: 2006年11月30日 05:06|
2006年11月13日
パネリスト募集中

今回、JANOG19 ミーティングのプログラム作りで新たにチャレンジしている点として、JANOGの皆様にお伺いしたアンケートから派生したプログラムを実現しようとしていることが挙げられます。

9月下旬から10月上旬にかけて「聞きたいプログラム」を janog ML で募集、投票していただいた結果、第1位になった「トラフィック監視や装置監視って皆さんどうしているのでしょう」と第2位の「そんなに東京さえぇのが?」をプログラム化することに決定しました。

「トラフィック監視・・・」については11月9日に [janog:07383] にてご案内させていただいた通り、現在、パネリストを募集しています。発表経験の有無は問いません。 (そもそも私はJANOGで発表した経験がないプログラム委員なのです。)

「今回は発表するので」という理由の元、堂々と沖縄出張に来るのも良いのでは? ご応募をお待ちしています。

PC Co-Chairs 樽井行保

日時: 2006年11月13日 23:43|
2006年11月10日
スタッフコラム2 オリエンテーションについて

みなさま、どうもJANOG19 SC(実行委員長)の残り1匹、工藤です。

第1回のコラムで相方の田島さん(新幹線で乗り過ごすって...)からも案内がありましたが、
今回のJANOGではいろいろな取り組みを考えています。

その一つが「オリエンテーション!」です。
スタッフの方の発案から実現することになったのですが、非常に面白い試みだと感じています。
「本会議には初めて出席するけど、どんな雰囲気なんだろう?議論に参加できるかなぁ」とか、
「今まで何回か出席したけど、なかなか議論に交われない...」とか、
「もっと仲間を増やしたいけど、スタッフとか運営委員って声かけにくいし...」とか、
そんな不安を払拭するため本会議前に、運営委員とスタッフから(主に運営委員)本会議に
ついての軽いレクチャーをし、交流を深める場とすることを目的としています。

本会議(さらに懇親会)で、あんな方やこんな方とおいしいお酒を酌み交わしたい方はぜひぜひ
御参加ください!

一つ御案内しておくと、JANOGスタッフは開催毎に変わっていきます。
よって、何を実施するかというのはその時々のスタッフの判断によりますので、次回以降この
オリエンテーションが継続されるかは現段階ではわかりません。
なので、「次にしよ」とか思わずに興味を持ったら今回参加してくださいね!

これからのスタッフコラムでも随時情報を更新していこうと思います。

日時: 2006年11月10日 12:59|
2006年08月29日
スタッフコラムスタート。電車を乗り過ごすの巻。

スタッフによるコラム。
一発目はSCの田島さんから。
はじまりはじまり。

====
SC(実行委員長)の片割れ、田島です。
JANOG19が走り始めたとき、もう一人のSCの工藤さんと方向性について
新橋のお好み焼き屋でプライベートミーティング(=飲み会)をしました。

その方向性については以前JANOG MLの開催告知でお伝えしたとおり。
http://www.janog.gr.jp/meeting/janog19/2006/09/post_2.html

他にもこんな事やりたいんだーっといろんなネタでまくり。
お腹も方針決めも満足し、工藤さんに「今日は電車を乗り越さないぞー」
と強気に宣言し帰途についた私。当然、期待通り乗り越しました、、、、

しかも、新幹線で!2駅!!

ちなみに、この日は前人未踏の週4回新幹線乗り越し記録達成記念日
となりました。

日時: 2006年08月29日 23:00|